I can go the distance

Zero to ???

【#d_advent】ケープコッドからアメリカの歴史を学ぼう

(サムネイル用写真です)


こんばんは!ジャンクションです。

本日はcolos会さんの企画「ディズニー関連ブログ アドベントカレンダー」に便乗し記事を公開させていただきます。



簡単に自己紹介


ジャンクション(@junction_1031)はディズニーと森田一義さんと所ジョージさんが好きな高校生です。最近はウォルトディズニーが興味の対象になってきています。



振り返るとは言っても


アドベントカレンダーは何かしらを振り返る傾向があるようですが、舞浜にほぼ行ってないし、大して専門知識を持たない、それに加えて過去を省みない人間が何を振り返ればいいのでしょう。ねぇ!何を振り返ればいいの?!


アメリカの歴史を振り返りましょう。(脈絡なし)


それにはぴったりの場所があります。それは東京ディズニーシーアメリカンウォーターフロントケープコッドです。このエリアはアメリカに実在する同名の田舎町およびナンタケット島、ひいてはマサチューセッツ州をモデルにしています。


ダッフィーもかわいいけど、ケープコッドはそれだけではありません。ここにはイマジニアがアメリカの壮大な歴史から抽出したマサチューセッツ像があるのです。例えば、海岸線の景色はプロビンスタウン(メイフラワー号が上陸した有名な港)、灯台はナンタケット島(捕鯨や漁業で有名な港町)など。これを詳しく紹介させていただきます。


BGSだけ知りたい方はこちらを↓



それじゃあ始まるよぉ!




歴史を紐解く4枚の絵



タウンホールという設定のレストラン、ケープコッド・クックオフにはケープコッドの歴史を象徴する4枚の絵が飾られています。



この絵から実際のマサチューセッツ州の歴史を説明していきます。

※但し、実際の歴史とディズニーシーでの設定とで違いがあることにご注意下さい


また、ここからはディズニーシーのケープコッドを ケープコッド (斜体)、実在する地域を ケープコッド と区別して表記するものとします。



ネイティブアメリカンの時代〜イギリス人の入植



のちに北アメリカ大陸と呼ばれる地域には100万人以上のネイティブアメリカンが何百もの部族に分かれて住んでいました。一説によると、彼らの祖先は2万年から4万年前にアジアから、当時陸地であったベーリング海峡を渡って移住してきた人々です。広義のアメリカ史はここから始まりました。


そしてマサチューセッツ州を含むアメリカ東部の森林地帯に住んでいたのはアルゴンキン語族に属するワンパノアグ族でした。


ワンパノアグ族は松やオークの森の中にウィグワムというドーム型の住居を作り、狩猟や採集、漁や耕作をして自給自足の生活をしていました。この様子は先ほどの絵にしっかりと描かれていますね。ケープコッド周辺の植栽は主に松の木で、実際のアメリカ東部の植生を再現しているといえます。

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出典:YouTube
ケープコッド・ステップアウトの舞台右側にはワンパノア労働組合(Wampanoag Federation)の名前が書いてありました。




ケープコッドには、アルゴンキン・ウーレンズ(Algonquin Woolens)という毛織り物工場があります。もしかしたらアルゴンキン語を話す部族の末裔が経営してるのかもしれないですね。




ヴィレッジ・グリーティングプレイスでもこの名前を見ることができます。


ちなみに、みなさん大好き「ウッドチャック」はもともとアルゴンキン語で「穴を掘るもの」という意味です。


一方、イギリスでは1588年ごろから北アメリカに植民を開始しました。彼らに言わせれば北アメリカ大陸は新大陸でした。(ネイティブアメリカンの存在が無視されていて良くない言い方ですよね)

余談ですが、イギリス初の恒久植民地はジェイムズタウン植民地です。ここを舞台にした伝説がポカホンタスの題材となっています。但し、ポカホンタスはワンパノアグ族ではなくポーハタン族です。


16世紀からイギリスではイギリス国教会の腐敗(カトリックから十分に脱却出来ていなかったこと)により、これを浄化(purify)することを望む人々が出てきました。彼らは「ピューリタン」と呼ばれています。彼らは国教会に反発する立場であった為、弾圧を受けることになりました。これを理由に厳格なピューリタンの一派は自由な信仰を求めてアムステルダム、レイデンを経て、1620年にメイフラワー(Mayflower)号に乗り、北アメリカ大陸への航海に出ました。このようにして彼らは自由な国家を建設することを目的とし、宗教的な巡礼をしたので、巡礼始祖あるいはピルグリムファーザーズ(pilgrim fathers)とよばれます。彼らを率いたのはウィリアム・ブラッドフォードでした。彼は後に30年あまりの長きにわたってプリマス植民地の総督となる人です。


ケープコッドには”PILGRIM”という船が停泊されています。



また、アメリカンウォーターフロント・ニューヨークには、”PURITAN”(社?)の車があります。


本来の目的地はジェームズタウンの少し北の地域でしたが、66日間の航海の末たどり着いたのはそのはるか北のケープコッドでした。そしてその一カ月後の12月21日、彼らはプリマスの地に足を降ろします。これが狭義のアメリカ史の始まりとされます。


ちなみに、彼らが上陸した際、踏み石にした花崗岩プリマスロックと呼ばれ、重要な文化財とされています。



引用:wikipedia


無理やり話を繋げてしまいますが、アメリカ東部のニューイングランド地方では花崗岩がよく見られます。マサチューセッツ州の一つ上にあるニューハンプシャー州は「花崗岩の州」という愛称がつくほどです。




ケープコッドから見えるプロメテウス火山や海岸の岩なども花崗岩のような見た目になっていますね。


ついに上陸した彼らが最初に着手したのは、コモンの建設でした。コモンとは共有地の意味で、ここを中心にニューイングランドの村々は作られることになります。コモンの建設が終わると、次は住居を建てました。これは非常に粗末なもので、雨や雪、風をしのぐことさえままなりませんでした。また、彼らはもともと商人や職人であったため、漁猟や耕作の方法を知りませんでした。厳しい自然条件を前に彼らは次々と死んでいきます。この四ヵ月後までに102人いた乗組員は半分にまで減っていました。


しかし翌年の1621年3月26日、コモンに突然、一人のネイティブアメリカンが入ってきました。彼は「ウェルカム、英国人よ」と英語で話しかけてコモンの人々を驚かせました。ここから入植者とネイティブアメリカンの交流が始まります。




感謝祭〜入植者の裏切り〜セーラム魔女狩り事件



ネイティブアメリカンのスクアントという青年は伝統的な狩猟法や耕作方法などを入植者に教えました。例えば、食用の木の実の見つけ方、魚を捕らえる網の作り方、トウモロコシ、豆類、カボチャの栽培方法、鹿罠の設置方法などです。

ディズニー映画”Squanto: A Warrior's Tale”はこのスクアントが主人公です。メイフラワー号上陸や後述する感謝祭も描かれているそうなので、大学生になったら買って改めて紹介させて頂きます。


また、ウィリアム・ブラッドフォードは近隣の大首長、マサソイトと平和条約を結んで入植者とネイティブアメリカンの友好関係を築きました。これがきっかけとなり、入植者の生活は非常に安全なものになりました。


この年の11月、プリマス植民地の広場で、ウィリアム・ブラッドフォード新総督のもと、入植者とネイティブアメリカンは一緒に最初の収穫に感謝を捧げました。テーブルには、カボチャ、カブやトウモロコシなどの野菜、木の実、野生の七面鳥、ブドウ酒、クランベリーなど豪勢な料理が並びました。


このようにして収穫に感謝を捧げたことが伝統として受け継がれ、現在の感謝祭として、アメリカの重要な祝日となっています。七面鳥クランベリーソースがけなどは今でも供されますよね。



ケープコッドのハロウィンにはジャックオーランタン以外にも、トウモロコシ、カボチャ、ブドウなど感謝祭を思わせる作物がたくさん飾られています。


ちなみに、ハロウィンはキリスト教に関係のない風習であったため、ニューイングランドピューリタンにとって受け入れ難いものだったそうです。19世紀のジャガイモ飢饉をきっかけにアイルランドの人々が移ってきてからは次第に定着するようになり、20世紀初頭にはアメリカのほとんどの人に受け入れられるようになりました。


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また、ケープコッドのアーント・ペグズ・ヴィレッジ・ストアにはメイフラワーブランドのクランベリーの箱が置いてあります。


ここからは一転して暗い歴史を二つ紹介します。


メイフラワー号から10年後の1630年にイギリスからマサチューセッツのボストンに渡ったのは、指導者ジョン・ウィンスロップ率いる1000人あまりのピューリタンでした。ジョン・ウィンスロップは後にマサチューセッツ植民地の初代総督となります。


彼らとプリマス植民地の人々は合併し、ここにマサチューセッツ植民地を建設しました。以降、アイルランドからの移民が増加したことにより、この植民地はロードアイランドコネチカットニューハンプシャーへと広がることになります。そして植民地は13州にまで増えました。この植民地群はアメリカ独立後に独立十三州と呼ばれることになります。


ケープコッドのBGMにアイルランド民謡が使われていることや、ケープコッド・ステップアウトがアイルランド発祥の踊りだった理由はここにありそうですね。


入植者と原住民の対立はポカホンタスアバターでも見られる構図ですが、ここでもそれは起こってしまいます。次第に入植者の領土拡大はエスカレートしていき、ネイティブアメリカンに土地をよこすよう迫るようになりました。ネイティブアメリカンにとって土地は誰のものでもなかったので、まず「よこす」という概念がなかったわけでしたが、入植者は応じない原住民を弾圧し始めます。30年以上守られ続けた平和条約はこのとき破られてしまいました。


酋長マサソイトが死ぬと息子ワスムッタが侵略行為を止めるよう言いましたが、間も無く入植者に暗殺されました。


ワスムッタの弟であるメタコメット(英国名はフィリップ)が酋長になると、初めのうちは友好関係を築き直すことに腐心しましたが、入植者は改宗を迫るなどして更に迫害を強めました。これに対してネイティブアメリカンは遂に入植地を攻撃しました。これを皮切りにニューイングランド全域でフィリップ王戦争が勃発しました。


ウィリアム・ブラッドフォードの後任としてプリマス植民地の総督となっていたジョシュア・ウィンスロウは原住民の女性や子供を大虐殺するなどして、原住民派を追い込みます。そして遂に原住民側は敗北し、メタコメットは八つ裂きにされ、プリマス植民地の広場に20年以上にわたって晒し首にされます。この広場は父マサソイトが入植者と感謝祭を開いた正にその場所でした。酷い話です。


ちなみに18世紀以降になってもネイティブアメリカンと白人の戦いは続きました。ネイティブアメリカンの全滅を指示し、焦土作戦を指揮したのは、後に初代大統領となり偉大なる国父として英雄化されたジョージ・ワシントンでありました。


しばらく経って1692年、またマサチューセッツ州の歴史に暗い影を落とす事件が起こります。それはセーラム魔女裁判と呼ばれる混乱でした。(ファンタスティックビーストを観た方の為に少し詳しくしました。)


ある日、サミュエル・パリス牧師の娘エリザベスと姪アビゲイルは、親に隠れて降霊術会に参加していました。この降霊会はパリス牧師の黒人奴隷のティチュバが少女2人に頼まれて遊びの一環で行われたものです。するとエリザベスとアビゲイルは突然叫びだし、物を投げるといった痙攣性発作に襲われました。この発作は集団ヒステリー的に村人に伝染していきました。パリス牧師は方々の町から牧師を呼び集め、悪魔払いを行いましたが、少女たちがティチュバなどの仕業であると言うと、ティチュバに対する尋問が始まります。ちなみにこの時尋問した執政官は、作家ナサニエルホーソンの先祖であるジョン・ホーソンでした。


この尋問(拷問)で、ティチュバはエリザベスとアビゲイルにブードゥー妖術を披露していたこと、神ではなく悪魔に仕えていること、自分の他にも魔女がいてピューリタンを滅ぼそうとしていることを言わされてしまいました。そして彼女は投獄され、民衆の間で誰が魔女かという集団的パラノイアが始まります。さながら人狼ゲーム状態です。これはセーラムだけでなく、ボストンやチャールズタウンまで飛び火しました。


これにより最終的に19人が絞首刑となり、1人が圧死、2人が獄死、200人以上が魔術を行った疑いで逮捕されました。圧死というのは胸の上に重しを載せる拷問による死です。


この時の政治情勢は非常に不安定でした。マサチューセッツニューイングランドの北端に位置していたため、イギリスとフランスの戦争にしばしば巻き込まれました。このとき、ネイティブアメリカンは土地と同胞を失った恨みからフランス軍と協力してイギリス領を攻めました。また1691年にボストンでは大火があり、干ばつとイナゴにより不作が続き、毎年のように天然痘が流行していたことから、人々がなんらかの悪の存在を強く意識していた頃でありました。これがセーラム魔女裁判の背景にあります。


セーラム魔女裁判をモチーフに「るつぼ」という戯曲が書かれ、「クルーシブル」として映画化もされているので是非ご覧ください。

この事件により、アメリカにおいてセーラムには、「魔女の住む町」というイメージがつきました。


奥様は魔女」や、ディズニー映画「ホーカスポーカス」の舞台もマサチューセッツ州セーラムでしたよね。


ケープコッドのハロウィン装飾は魔女がメインです。黒猫もホーカスポーカス的ですね。どうしてもホーカスポーカスと繋げたい。


ニューイングランドの船乗りの間では、風向きが悪くて出航できないとき、「魔女が船に猫を忍び込ませた」という迷信があり、猫を探し出して降ろすと風向きが変わると言われています。




しかしこの村では猫が村人たちに愛されているみたいですね。いっぱいいるニャ。




猫ついでに紹介しますが、写真中央の船の名前は”CATS PAW”という名前で、キャットボートという種類の船でです。


セーラム魔女狩りハリー・ポッターの世界の歴史にも組み込まれています。こちらをどうぞ。(ファンタスティックビースト観てないから説明できない)


アメリカ独立




1750年代、北アメリカ大陸の東部と北部をイギリスが、中央部をフランスが植民地としていました。1755年、フランスの植民地でイギリスが領有権を主張したために「フレンチ=インディアン戦争(7年戦争)」が起こりました。結果はイギリスの勝利で、それまでのフランス領土はほぼイギリスのものとなりました。


しかしこの戦争で勝利を収めたイギリスは代わりに莫大な赤字を抱えてしまいます。この穴埋めを植民地に押し付けました。このときイギリスは植民地の人々が本国を見限って海を渡った人々であったことを忘れていました。


イギリスは遠慮なく植民地に重商主義的法令を発布しました。とくに印紙税法はあらゆる書類や新聞、パンフレット、トランプにいたるまで印刷に関係するものには全て課税するものでした。これに対して植民地側は、植民地の代表なしに法案を可決するとは何事だ、として「代表なくして課税なし」をスローガンに抵抗しました。これを契機に「自由の息子たち」という反本国組織が形成されました。

ディズニー映画”Johnny Tremain”は「自由の息子たち」を基にした物語です。あとで輸入して観たいです。


植民地の人々は精神的にはイギリスから離れていたものの、嗜好品として紅茶のない生活はあり得ないものでした。そこでイギリスは茶法を設定し、収益を拡大しようとしました。

ケープコッドには以前、ミルクティー味のポップコーンがありましたよね。

大好物の紅茶に課税されると聞いて、植民地の人々は怒り狂いました。そしてボストン湾にて、茶を輸入する船に忍び込むと「ボストン湾を美味しくしてやる!」と言ったかはわかりませんが、全ての茶を海に投げ込みました。これがボストン茶会事件と呼ばれる暴動です。


そして植民地側は、1774年に「大陸会議」を開き、イギリスとの通商を絶つ決議をしました。その後、ボストン郊外のレキシントン、コンコードで本格的戦闘が始まりました。この戦争を指揮したのは愛国者ポール・リビアです。

ポール・リビアはニューヨークエリアでもその名前を見ることができます。


植民地を独立へ導く「独立宣言」を1776年7月4日に発したのは”建国の祖”ジョージ・ワシントンベンジャミン・フランクリントーマス・ジェファソン、アレクサンダー・ハミルトンらでした。独立宣言書はナショナルトレジャーでレモン汁をかけられてて可哀想でしたね。

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出典:Wikipedia

この絵に描かれている大陸会議での独立宣言採択の様子は本家ディズニーランドでアトラクション化する計画もあったそうですよ。


ベンジャミン・フランクリンはディズニー短編アニメーション”フランクリン物語”の主人公になっています。トーマス・ジェファソンも出てきます。


アレクサンダー・ハミルトンはリン・マニュエル・ミランダによってミュージカルとなりました。リン・マニュエル・ミランダはモアナの曲を作った人です。


その後フランスやオランダ、スペインも同盟を作り、イギリスを孤立されました。そしてイギリス軍はヨークタウンで降伏し、戦いは終結しました。パリ講話会議を経て植民地の独立が成立しました。これがアメリカ独立革命のあらましです。


独立によって植民地が州に変わりました。このときの13州は星条旗の縞の数等で象徴化されています。

ケープコッドにはアメリカ独立に関するものが多くあります。


まずはレボリューションキャノンを。
村の西端の広場にあるこの大砲は独立革命の際に使われたもので、戦没者の追悼と彼らの功績を讃えてここに置かれています。



ケープコッド・クックオフ内装を。ここは、7月4日の独立記念日を祝うために村役場で料理コンテストを開いている設定のレストランです。



植民地側の兵士、大陸軍肖像画です。青いコートを着ています。対してイギリス軍は赤いコートを着ていたので、レッドコートと呼ばれたそうです。




大陸軍の騎行でしょうか。詳しいことはわかりません。勉強します。




独立戦争で使用されたと思われる剣です。顔写らなくて良かったです。




入ってすぐの床には、1789と書いてあります。これは第一回アメリカ大統領選挙の年です。第一代アメリカ大統領はジョージ・ワシントン




彼は保険会社の印にも使われているみたいですね。




ハリケーンポイントライトハウスのプレートを。


Hurricane Point Lighthouse Long may this beacon of light shine, as an outstretched hand to all ships which sail these waters.

Dedicated by the Daughters of Liberty to Cape Cod Village

4 July 1909

末永くこの光が海を航行する全ての船に救いの手を差し伸べることを願って

寄贈 自由の娘たち
1909年7月4日


この灯台はケープコッド近海を航行する船の為に建てられました。”自由の娘たち”とは、独立戦争で戦った者の直系の子孫だけが入れる婦人団体です。”自由の息子たち”を意識してますよね。レボリューションキャノンを寄贈したのもこの団体です。



次は掲揚台を。


Dedicated to the Brave Women of Cape Codde Village Who Did Their Part in our War of Independence.
Long May our Flag Fly.

独立戦争において役割を果たしきった、ケープコッドの勇敢な女性たちに捧ぐ
この旗が末永く翻ることを願って

いや全然翻ってないよね。


ニューイングランドと産業



ここからはアメリカの歴史の中でもニューイングランドに絞って話をします。

ニューイングランドにとって17世紀は基礎固めの時期、18世紀は発展の時期でした。ピューリタンの厳格な気風や、自由のために自ら独立を勝ち取ったことにより芽生えた強い自立心は、理想の国を造りあげるにはまず自分たちが勤勉でなくてはならない、という教育や仕事に熱心な性格を生みました。ハーバード大学ボストン大学マサチューセッツ工科大学など今でも名門校が集まってますよね。


その独特の性格によって、ここはアメリカ独立戦争だけではなく、産業革命の中心地にもなりました。主に手工業、林業、紡績、芸術などさまざまな産業が発展します。

メルヴィルズワーフは木材を扱う店です。小説「白鯨」の作者は、
ハーマン・メルヴィルです。あとでまた出てきますよ。



パーソンさんの船の帆の工場です。紡績がないと成り立たない仕事ですよね。無理矢理感ありますかね。




引用:Paul Madden Antiques
ニューイングランドで手工業といえば、上の写真のようなナンタケットバスケットです。



ペグおばさんのお店にもたくさん置いてあります。



少し前に販売されていたダッフィーのポップコーンバケツはナンタケットバスケットの形でした。



また、ケープコッドクックオフの4枚の絵もフォークアートと呼ばれる伝統の芸術品です。



こちらはラブクラフト保税倉庫です。産業と倉庫は切っても切れない関係にあります。ちなみにニューイングランド生まれの有名作家に、H.P.ラブクラフトがいます。


そしてここは漁業の重要な拠点でもありました。ボストン港は漁獲取り扱い量がアメリカで一番でした。


近海で操業するうちは漁獲量が少なかったものの、グランドバンクをはじめとする一大漁場への航行が始まると大量の魚が獲れるようになりました。


ニューイングランド近海の特産品はタラ、ロブスター、スズキ、貝類です。ケープコッドの「コッド」はタラという意味です。



ロブスター型のいろいろ、魚の装飾品など、ケープコッドにも漁師町らしいものがたくさんあります。載せたらキリがないのでこれくらいにしますね。




コッドフィッシュバーガーやクラムチャウダーはこの町の名産を使った料理です。特にクラムチャウダーニューイングランド発祥だそうで。



昔は海藻サラダも売られていたんですね。





そしてケープコッドには”グランドバンクスカナリー”という建物があります。グランドバンクとはニューイングランド沿岸の豊かな漁場であり、ここはグランドバンクで獲れた魚介類を缶詰めにする工場です。



ケープコッドの目抜き通りであるピーコッドストリートには、ここで魚を塩漬けにするための塩の貯蔵庫があります。



工場には漁獲網や氷を切り出す道具がありますね。クリストフ。


以前は実際に塩漬けにする様子や、魚を食べてしまった猫など素敵な装飾がありましたが、時代の流れで消えてしまいました。




しかし、我らがロブスター漁師の家は永久に不滅であります。


マサチューセッツの人々にとって漁は重要な生産手段でしたが、アメリカ東海岸に位置しているので、しばしばハリケーンの影響に悩まされてきました。それ故に漁師という仕事は、いつ転覆して死ぬかわからないという危険なものでした。そのため漁師たちにとって母港の灯台の明かりは希望の象徴でした。



引用:Wikipedia
マサチューセッツ州グロスターには海難事故で命を落とした漁師たちを追悼する銅像があります。



ケープコッドのミッキー像はこれをモデルに作られました。


ケープコッド灯台が建つ岩場はハリケーンポイントと呼ばれています。またハイタイドトリートのある場所は、昔起きた高潮によってできた窪地だそうです。このように地名にもケープコッドとハリケーンの歴史が隠されています。ブラタモリ風に楽しむのもオツであります。

そしてマサチューセッツ州を大いに栄えさせたのは捕鯨でした。鯨から取れる鯨油は現在の石油のように重宝され、ニューイングランドの人々にとって一大産業でした。当時の捕鯨基地の人々の所得は世界一であったと言われています。マサチューセッツ州捕鯨基地としてはナンタケット島やベッドフォードが有名です。しかし、1850年代を最盛期に、クジラの減少や石油の登場により徐々に衰退していきました。



当時のアメリカ式の捕鯨の方法は、巨大なカッターを取り付けた帆船でクジラを追い込み、銛を発射して捕獲する、というものでした。


発射する銛というのはクジラのウィリーを殺めたアレです。クジラを捕らえると、皮や頭蓋を釜で煮て鯨油を採取しました。鯨油は樽に入れて保存されたので、鯨の大きさは「バレル」という単位で表されます。そして鯨油以外の肉や骨はどうするのかというと、そのまま海に捨てられました。もったいない。



ダリウス・バトラーさんの樽製造所です。鯨油の時代は大忙しだったんでしょうね。



20世紀初頭のケープコッドにも樽はたくさんあります。隠れミッキー探しに飽きたあなた、樽探しはいかがでしょう。



ケープコッドのコブズ・ブラックスミスは船の道具や銛を作る鍛冶屋です。こちらも鯨油の時代は大儲けだったのかもしれません。




ディズニー映画「海底二万マイル」に”Whale of a Tale”という曲が登場します。この曲はクジラ漁師のネッド・ランドが過去に愛した女性との思い出をでっち上げ紹介する曲です。クジラ関連の言葉遊びが楽しい曲です。

”Whale of a Tale” はケープコッドのBGMに使用されています。33分33秒から”Whale of a tale”が流れます。

小説「海底2万マイル」冒頭でも語られる、ナンタケットの捕鯨の様子を描いた小説「白鯨(モビィ・ディック)」は、ケープコッドに強い結びつきがあるのですが、詳細は後ほど。



歴史の勉強はここまでとさせていただきます。



ディズニーシーのケープコッド


ここからは斜体やめます。



ヴィレッジ・グリーティングプレイスとケープコッド・クックオフには歴史家のレベッカ・ピーバディによるケープコッドの沿革が飾られています。他で紹介されているものとは少し解釈が違うので、飛ばさずにどうぞ...

Two British ships reached land within moments of each other in the year 1680. The first was commanded by Captain Elias Winthrop, who immediately proclaimed this settlement the town of Winthrop. The second ship, under the command of Captain Joshua Bedford, declared this new territory Bedford Grove. When neither could prevail upon the other to relinquish the land or its name, it was decided that a new name, acceptable to both, must be chosen.
Many names were put forth but, for one reason or another, soundly rejected. Finally, an exasperated woman in the crowd, who noticed the predominance of codfish in the water, shouted out, "Please, sirs, we are all very hungry. Why not call this place Cape Codde Village and be done with it?"
 And so they did, and so it was and so it remains.
 Over the years, Cape Codde Village has endured harsh winters, heavy storms, and devastating fires, but our townspeople are nothing if not resilient.
 We are proud of our "Yankee know-how" and our "never say die" attitude.
 We pride ourselves on remaining a small township, and we are deservedly famous for our fishing traditions, our annnual Fourth of July Cape Codde Cookoff, our stoic merchants and our unique handicrafts. Though we benefit greatly from the visitors who come here, it is important to us that we preserve our way of life. Which is why we are fond of saying, "Come again when you can't stay so long."

Rebecca Peabody
Second Day of April, Eighteen Hundred and Ninety-Nine
RECORDER / HISTORIAN

1680年、二隻のイギリス船が互いに同時に陸地へ到達した。一隻の船長はイライアス・ウィンスロップ。到着するやいなや、この土地をウィンスロップと名付けると主張した。しかしもう一隻の船長、ジョシュア・ベッドフォードもすぐさまここをベッドフォードグローブとした。互いにこの名前、或いは土地を譲ろうとしなかったため、双方が納得できる新しい名前が付けられることとなる。いくつもの名前が挙げられたが、あれこれ理由をつけて却下された。この聴衆の中に苛立つ女性がいた。彼女は海の中にタラの群れを見つけて叫んだ。「もうお腹が空いたの!ケープコッドでいいじゃない。」 そして彼らはそれに決め、このケープコッドという名前は今も変わっていない。

その後、ケープコッドは厳しい冬、荒れ狂う嵐、そして壊滅的な火事に見舞われた。しかしこの町の人々はすぐに元気を取り戻したとは言わないまでも、これを物ともしなかった。我らはこの地に蓄積されてきた経験と、決して悲観的にならない態度を誇りにしている。また、この町を守り続け、漁業で名をはせたこと、独立記念日には料理コンテストを開くこと、そしてストイックな商業と個性的な手工芸に自信を持っている。

ここに来る人々からは多大なる恩恵を受けているが、ここに私たち自身の生き方を見失ってはならない。だからこの言葉を忘れないように言い続けるのだ。

「長居できないというのであれば、ここに来てくれ」


まず、ジョジュア・ベッドフォードとイライアス・ウィンスロウはそれぞれ、プリマス植民地一代総督ウィリアム・ブラッドフォード、二代総督のジョジュア・ウィンスロウを基にしていると思われます。イライアスはウォルト・ディズニーのお父さんの名前ですね。そして、ベッドフォード、ウィンスロウ、ピーバディはどれもマサチューセッツ州にある地名です。



「長居できないのであれば、また来てくれ」という言葉はつまり「長居して私たちの生活を壊さないでくれ」ということですね。対して日帰りでお金を落としていく私たちですよ。「ストイックな商業」、大成功じゃないですか。




次にケープコッドクックオフ横のプレートを。


It is with patriot's pride that we dedicate the founding of Cape Codde village in 1680.

まさに愛国者の誇りと共に、1680年というこの年をケープコッドの設立に捧げる

これはケープコッド入植直後に作られたもののようです。



次にケープコッドの村章を。これはヴィレッジ・グリーティングプレイスの壁やケープコッド・クックオフの中に飾られています。


この村章には入植者とネイティブアメリカンが一緒にタラを掲げる様子が誇らしげに描かれているので、ここでは彼らの対立は無かったのかもしれません。


ところで、「1689」はこの村章ができた年でしょうか。そして”hoc pisce vincimus”、これは羅英辞典によれば”This fish win”という意味です。なんやそれ。Ask Dave!!!



ミッキー像を。


THEY THAT GO DOWN
TO THE SEA IN SHIPS
1623-1912

船と共に海に散った者たちへ


年号が1623年なのは、元ネタの漁師像が1623年のグロスター設立から300年を記念して作られたものだからです。ではなぜグロスターの設立の年号が書いてあるか。Ask Dave!!!!!


ヴィレッジ・グリーティングプレイスのプロップスを。


Wilbur Schoonmaker was head lighthouse keeper at Cape Cod village light for more than thirty years. This hat, budge and insignia were his most treasured possesions.

ウィルバー・スクーンメイカーは30年以上に渡って灯台の看守を務めた。この帽子、バッチ、記章は彼が最も大切にしたものである。


ハリケーンポイントライトハウスは1909年に建てられたものですよね。違う灯台があるのでしょうか。




すごくウェルカムなさるのは、入植者を温かく迎え入れたネイティブアメリカンの精神がまだ残っているからなのかもしれません。




ケープコッドの来訪者の記録です。(左下に鳥フンがあったので隠させていただきました。)アラジンとジャスミン、アリエル、スクルージなど気になるサインがありますが、一番気になるのはこの方。

My daughter, Alice, and I greatly enjoyed your warm hospitality and the chance to experience the natural wonders that which Cape Cod.

Theodore Roosevelt

娘のアリスも私も、君の手厚い歓迎とケープコッドの自然の素晴らしさを本当に楽しめたよ。

セオドア・ルーズベルト

セオドア・ルーズベルトはアメリカの26代大統領です。ナイトミュージアムに出てきたあの方です。ニューヨークエリアには彼の名を冠したレストランや広告がありますよね。


彼は趣味の熊狩りで弱った熊にとどめを刺すことをためらったことが美談とされました。これに因んで作られたのがテディベアです。


ダッフィーもテディベアです。繋がるものがありますね。



あ、アリエルで思い出したのですが、ディズニー映画”Splash”はケープコッドの人魚の話です。これも観てみたい。




ケープコッドのお土産の鍋敷きです。中央の塔はピルグリムモニュメントといい、その名の通りピルグリムファーザーズを讃えるものです。1907年、セオドア・ルーズベルトがこれの着工式に出席し、1910年、時期大統領のウィリアム・ハワード・タフトが除幕式に出席しました。彼らはセイリングデイ・ブッフェの看板にも描かれています。




ではこの記事のラスボス、白鯨の話を。


先ほど登場したナサニエルホーソンの弟子にあたる、ハーマン・メルヴィルは世界10大小説にも数えられる「白鯨」という作品を残しました。




引用:Wikipedia


「白鯨」は簡単にいうと、モビィ・ディック(Moby Dick)という巨大クジラに脚を食い千切られた男の復讐の話です。この男の名前はエイハブといい、捕鯨船ピーコッド号の船長です。ピーコッド号には、この物語の語り部であるイシュメイル、一等航海士スターバック、陽気な航海士スタブ、銛打ちのクィークェグなどさまざまな乗組員がいました。


そのうち、エイハブの復讐に反対するのはただ一人スターバックだけでした。彼には一人息子がいたのでエイハブを説得して引き返そうとしましたが、彼を止めることはできませんでした。その後、モビィ・ディックとの死闘が始まります。しかし、クジラ語など通じるわけがありません。彼らはイシュメイルを除いて全員死んでしまいます。これが白鯨のあらすじです。



ちなみにピーコッド号の由来は、アルゴンキン語族のピーコット族に由来しています。彼らは白人に襲われ、反撃するもほぼ全滅しました。白人を白鯨、ピーコット族をピーコッド号に置き換えると、これは悲劇的結末を示唆する名前と考えることもできますよね。



それを踏まえて、「海の絵本」で紹介されたケープコッドのペグおばさんの話について紹介させていただきましょう。


ペグおばさんは若い頃、活発な少女で、航海をすることに憧れていました。ある日、彼女は一人の船長に出会い、恋をしました。船長の大好物は少女ペグの作るお菓子です。二人が船の上でお菓子を食べていた時、巨大なクジラが現れ、二人の乗った船は粉砕されてしまいます。


ペグはなんとか助かりましたが、船長は二度と戻ってくることはありませんでした。そんな彼女は船長のことを思い出しながらお菓子を作り続けているそうです。


そんな彼女の名前はおそらく

マーガレット・スターバックです。


船長とはスターバックの息子なのか、あるいは全く関係ないのかわかりません。しかし意識をしていることだけは間違いないでしょう。





ペグおばさんの店の屋上には柵がついた部分があります。これは海沿いの家によく見られる見張り所で、ウィドウズ・ウォーク寡婦の居場所)と呼ばれています。ペグおばさんはここから何を想い、独り海を眺めるのでしょう......








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参考資料・参考リンク(敬称略)
・杉野健太郎ほか、アメリカ文化入門(三修社
猿谷要 著、物語 アメリカの歴史(中公新書
・加藤恭子 著、ニューイングランド物語 アメリカ、その心の風景(日本放送出版協会
巽孝之 著、アメリカ文学史のキーワード(講談社現代新書)
メルヴィル 著、マンガで読破 白鯨(イーストプレス
メルヴィル 著・田中西二郎 訳、白鯨(上中下)(岩波文庫
・リサモートン 著・大久保庸子 訳、ハロウィンの文化史(原書房
・アーリーン・ハーシュフェルダーほか、ネイティヴ・アメリカン-写真で綴るアメリカ先住民史-(BL出版
・キャスリン・ラスキー 著・宮木陽子 訳、メイフラワー号の少女(岩崎書店
・鈴木直次 著、アメリカ産業社会の盛衰(岩波新書
・有賀貞 著、ヒストリカルガイドUSA(山川出版社
・池田智・松本利秋 著、早わかりアメリカ(日本実業出版社
・浜林正夫・井上正美 著、魔女狩り(教育社)
・大島良行 著、忘れられたアメリカ史
・ENCYCLOPEDIA The USA (Parragon Publishing)
・森田勝昭 著、鯨と捕鯨の文化史(名古屋大学出版会)
・新詳高等地図(帝国書院
地球の歩き方 ボストン(ダイアモンド社)
・木村靖二・佐藤次高・岸本美緒 著、詳説 世界史B(山川出版社
・最新地理図表 GEO (第一学習社
・New Stage 世界史詳覧(浜島書店)
東京ディズニーシー・ハンディガイド(講談社
講談社ハートウォームシリーズ 海の絵本(講談社
・畑山信也 著、旅する東京ディズニーシー
東京ディズニーシー物語(講談社
東京ディズニーリゾート公式ブログの本(講談社
東京ディズニーリゾート スーパートリビアガイドブック2011・2012・2013・2014・2016(講談社
東京ディズニーシー 10周年クロニクル (講談社
・アートで楽しむ東京ディズニーリゾートガイドブック(講談社
・Funderful Disney 創刊号 アーリーアメリカン・14号 海辺のダイニングでお食事を・24号 My Friend Duffy・33号 パークを歩こう!グリーン&フラワー特集(東京ディズニーリゾート・パークファンクラブ ファンダフル・ディズニー事務局)
・Michael Crawford 著、''The Progress City Primer''(Progress City Press)
日本テレビ系列 夢の通り道
Wikipedia ハワード・フィリップス・ラヴクラフト
ブエナビスタ・ホームエンタテインメント ディスカバー東京ディズニーリゾート スーパーストーリー




Special Thanks!
#d_advent に誘ってくれたらむくん

#d_adventを主催して下さったD-Labの皆さん

グランドバンクスカナリーの画像を提供して下さったアクセルさん

情報提供をして下さったにらさん

言わずもがなダッフィー

世界史Aを適当に教えて下さったS先生、撮影を快諾して下さったキャストの方々、熱心に撮影する僕を揉みくちゃにして下さったケープコッドのゲストの皆さま、これから内容を訂正して下さる識者の方々、僕の人生に多大な影響を与えてくれた東京ディズニーシー、そして読んで下さった皆さま、本当にありがとうございました。



クリスマスまであと17日!